碓氷峠の巻
by twilight
は初めてのケース

【碓氷峠】(ウキペディアより)

太平洋戦争後は輸送隘路の解消のため最急勾配を22.5 ‰(約1.3度)とする迂回ルートも検討されたが、最大66.7 ‰(約3.8度)の急勾配は回避せず一般的な車輪による粘着運転で登降坂することになり、1961年に着工し1963年7月15日に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が単線で開通した。同年9月30日にラック式鉄道は廃止され、さらに1966年7月2日には、旧ラック式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し複線となった。これによって当区間の所要時間は旅客列車で40分から、勾配を上る下り列車は17分、勾配を下る上り列車は24分に短縮された[28]

しかし電車気動車客車貨物を問わず単独での運転は勾配に対応できず、補助機関車として2両を1組としたEF63形を常に連結することとなった。勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能であった。そのために必ず勾配の麓側にあたる横川側に2両が連結された。








客車・貨物列車の場合(EF62形単機回送も含む)
信越本線内の本務機関車としてEF63形と同時期に製造されたEF62形が牽引する列車ではEF63形を連結して当区間を走行する際の輸送定数は客車が360 トン (t)、貨物列車で400 tに制限されたほか、ラック時代に一部列車で実施されていた客車と貨車を混結した状態で走る混合列車の運転が保安上禁止された。
下り列車の場合(軽井沢)EF62 + 客車もしくは貨車 + EF63 + EF63(横川)の編成となり、無線通信によって最前部のEF62が牽引し後部のEF63形2両で推進するプッシュプル方式での運転操作が行われた。上り列車の場合、(軽井沢)客車 + EF62 + EF63 + EF63(横川)と勾配の麓側に3両の機関車が連なり、最前部のEF63形から3両の総括制御を行う。
EF62+EF63+EF63の3重連による牽引力はD51形蒸気機関車の5重連に相当する[29]
電車・気動車の場合
EF62形・EF63形量産車による3重連以上を用いた試験の結果、EF63形が無動力の電車・気動車を牽引する場合は編成両数が電車が最大8両、気動車は最大7両に制限された[30]。この問題についてはさまざまな解決策が検討されたが、最終的にEF63形と当区間を通過する電車を協調運転することで、増結が求められていた4両分の荷重を電車が負担する案が採用されることになった。こうして1968年以降、EF63形との協調運転により最大 12 両編成での通過を可能とした169系489系189系の各形式電車が投入されたが、協調・非協調を問わず当区間の運転はすべてEF63形に乗務する機関士が担当し、峠を登る列車では運転士は後ろ向きに運転を行うため、電車・気動車による列車では先頭に乗務している運転士は信号現示と進路の確認を行ない車内電話を通してEF63形乗務の機関士へ伝達し相互喚呼していた。また協調運転時の総括制御、推進・牽引運転時に電車・気動車側のマスター・コントローラーとブレーキ弁を扱うと制御回路を破損してしまうため、電車・気動車側のマスター・コントローラーはハンドル「切」位置にして鍵を抜き取り、ブレーキ弁ハンドルも抜き取るよう規程されていた。
1985年(昭和60年)頃には余剰のサロ183形を改造した自力登坂可能な187系(第2案)も計画されたが、諸般の事情から白紙撤回されている。詳細は「国鉄187系特急用直流電車開発計画」も参照のこと。



























































































<<横軽対策>>

最大66.7 ‰の急勾配という条件で峠の下側から本形式による推進・牽引運転を実施するため、非常ブレーキ動作時などに過大な自動連結器作用力(自連力)が発生し、連結器の破損や列車の座屈による車両の車体と台車の分離、浮き上がり脱線の予防、車両の逸走といった事故が発生するのを防止する目的で、当区間を通過する車両には以下の対策(通称:「横軽対策」)が必須とされた。また、指定された形式以外の車両、大物車、鋼木合造客車は通過を禁止されている。

  • 台枠・連結器の強化[31]
  • 緩衝器容量の増大[30]
  • 車掌弁(車掌用非常ブレーキ装置)への絞り追加[32]
  • 台車横揺れ制限装置の追加[33]
  • 空気ばね台車装着車に対するパンク機能の付加[30][34]

対策施工車両には識別のため車両番号の先頭に直径40ミリメートル「●(Gマーク)」を付した。

これらの制約は、当区間の粘着運転への切り替え直前に実施された165系電車9両編成とEF63形による下り勾配での試験運転で、非常ブレーキを作動させたところ機関車次位のクハ165形の軽井沢方にあたる車体後部が垂直座屈で浮上し、車体と台車が分離するという現象や上り勾配での客車牽引で縦勾配の変曲点で軽井沢方の台車が脱線する現象が発生した[30][35]ことに由来する。

この結果、機関車と他の車両との間で発生する自連力の過大がもたらす悪影響が認識され当区間での被牽引対象列車に対する最大8両(系列によっては7両)までの連結両数制限と車種を問わず心皿脱出防止のため空気ばね台車装着車に対するパンクの義務化が決定された[30]。前述の専用車両によるEF63形との協調運転システムの開発は、前者の制限を解消し輸送力不足を補う手段として開発されたものである。後者の対策は空気ばね台車の限界自連力が金属ばね台車に比べて著しく小さいため垂直座屈に弱い一方で空気ばねをパンクさせてストッパゴムだけで車体を支持する状態にすると空気ばね有効時と比較して約6倍の限界自連力を得られることから実施されたもの[36]で、同様に貨物列車の車掌車についても推進運転時の坐屈問題から 1 段リンク式足回りをもつヨ3500形が限定使用された[注 1]

電車では協調・非協調を問わず座屈による浮き上がり脱線予防策として車両重量のある電動車ユニットを峠の下側に組成することになり、新前橋電車区(現・高崎車両センター)・長野運転所(後の北長野運転所→長野総合車両所→現・長野総合車両センター)配置の165・169系が他車両基地配置車と逆向きの編成に組成されていたほか、後に松本運転所(現・松本車両センター)配置の115系1000番台(後に長野へ移管)・新前橋電車区配置の185系200番台も電動車ユニットの向きが本来と逆向きにされた。